名古屋校ブログ

名古屋校

2020年7月24日

わかりあえなさからの出発

養成講座では『音声』を勉強します。
語学を学ぶ時、あるいは教える時に、この『音声』の知識があるかどうかで、その効果に雲泥の差が出てくるのが『音声』でしょう。
受講生の皆さんは一様に「むずかしい~!!」と仰いますが、同時に、「おもしろい~!!目から鱗!!もっと勉強したい!!」という声があがるのも『音声』です。

なかでも「音素」は、それぞれの言語の違いによる学習の難しさを考える時に、日本語教師として一番敏感であらねばならない部分です。

かつて養成講座で私も学んでいた時、心からリスペクトしてやまない東京校の沖濱先生が音素についての講義をされた時、言語の違いによってどれほどの音素の誤認識、食い違い、ズレが生じるのかを図式化して下さいました。その図式化されたものは、はっきり言ってショックといえるほどの衝撃でした。
「こんなの、永遠に分かり合えないじゃん・・・!!!」と。
言語によってこれほど音素が微妙に、ズレにズレているならば、いったいどこにお互いの認識の一致が見出せるのか!?と。

当時、この音素の違い、という概念は、まんま私の中で、自分と他者との違い、という概念へと結びついていきました。

音素って、主観とおんなじ。

自分(の母語)と同じ音素をもたない人がこの世には沢山存在する。
同じ音素をもたない相手に、どうしてこの音素がわからないの!?って責めることの滑稽さと生産性のなさ。
だって、そこは、永遠にわかちあえないことを沖濱先生の図が示していた。
そりゃもう絶望的なまでに。
私にはどうやったって”ア”でしかないことが、となりの人にはどうやったって”エ”にしか聞こえない。

日本語を日本人として外国人学習者に教える時、あるいは、自らが外国人となって海外で教える時、
そこで大きく立ちはだかってぶつかる壁になってくるのが、あらゆる「違い」です。
自分の価値観がいかに限定された、小さな国の小さな共有仲間との価値観でしかなかったのかが思い知らされ、自分の価値観の物差しはぶっ壊されます。

他者との違いをまざまざと体験するとき、そこに必要なのは理知と客観と俯瞰の冷静さ、そして分析能力であり、そんな場面では、感情はただただ事を複雑にする厄介なものでしかないということ。

『音声』を学んでいたからこそ、たどり着けた思いでした。

受講生の皆さん、勉強はしんどいですか?

どうぞ、「しんどさ」だけじゃなく、その学問の「醍醐味」を存分に味わいながら学ばれてくださいね。
『音声』はすごい科目です!!

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